着ぐるみ観

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少し前に着ぐるみはTFの延長線上でやっていると呟いたが、これはもう少し噛み砕いて言葉にする必要があると思ったのでメモ代わりにツイートする 。

TFの延長線上の着ぐるみというのは、キャラの演技をする、キャラになりきるっていう着ぐるみの楽しみ方とは全然違っているんだよね。
何が違うのかというと、着ぐるみを着ているときに自己同一性が存在しているという点。

着ぐるみのキャラはあくまでも「さとみ」と同一の生き物で、そのキャラという生物ではない。あくまでも「さとみ」がそのキャラの外見や性別を獲得して、社会的にそれに見合った立ち振る舞い、動きを求められている状況、というのを仮想体験しているんだよ。

だから演じる、という表現は手法としては間違ってはいないけれども、根本的な考え方では全く違う。演じているわけではなく、そのキャラにTFしたものとして立ち振る舞いをしている。ただし、その時にホモサピとしての「さとみ」の生物学的、社会的要因はなかったことになっていはいるけれども

だからこそ、私が着ぐるみに求めるのは、自分自身が自分自身に満足するための変身欲求の充足なんだよね。

おそらくTFの属性をもってこの界隈に入った人たちは少なからずこの感覚を持っているとは思うんだけど、これが言葉になって表に出てきたことってあんまりなかったな。飲み会ではちょいちょい話題にはあがるんだけども

らんまが女の時と男の時とを切り替えて楽しんでいたように、着ぐるみを着ることで自分のもっていない生物学的、社会的要因を上塗りできる。それを冷静に楽しめると、とても心地よくなってくるのです。

ちなみに、時たま熱が入りすぎると、冷静に楽しんでいるはずの自己同一性がキャラと融合して、自分の存在がすごくふわふわした状態になる。この状態は多分性的な感情とすごく密接に結びついていると思う。そしてこれが過剰になると「トランス」してまた一つ違う次元にいくことができるんだよ。

という私の着ぐるみ観でした。
色んな楽しみ方のある着ぐるみの、一つの楽しみ方として知っていたらいいと思うな!
やはりTFは素晴らしいのだ。