ケモノのアイデンティティー / 風来居 塩ラーメン

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一連のツイートをそのままコピペ

ケモノは好きだが、着ぐるみに対してはあんまりになってきてしまったな。元々他人の着ぐるみに対しては興味なくて、自分の変身性転換願望がモチベだったのだが、自分で着ぐるみを着るようになった結果、変身後に対する理想がどんどん高くなってって着ぐるみじゃ追いつかなくなっている。

その結果メスホルやら女装やらがあったわけだけど、今は界隈のカマ的ポジションに落ち着いてきている。 ただ年齢もあって、自分がもはやそっち路線では自分基準の美しい生き物になれないなと感じていて、諦めがあることも否定はしない。

カマってのは男性性をちゃんと認めてないとカマになれないのよね。 あたしはその作業が少し辛さがあったけど、会社やイベントで求められる役割は圧倒的に男性的で、筋トレの後押しもあって男性部分を認められるようにはなってきている。 だからいま、私は男よりのカマという性を選択している。

着ぐるみを着なくなったのは、そうやって男よりのカマポジで生身を認めようとしている作業中だからなのかもしれない。あの娘たちは、今の私には女をし過ぎているわ。 女になれないことを悟ったカマが着ぐるみを着る未練なんて、私は自分を許せそうにないわ。

だから今、着ぐるみに対するモチベはかなり低い。 でも私をここまで引き上げてくれたのは着ぐるみだし、ケモノの表現の一つだと思っているので、これからも関わってはいきたい。けど、furryとしてのアイデンティティが少し弱まった感はある。

イベント主催•運営は私にとってfurryとしてやりたいことではあるが、あまりアイデンティティとは関係しないかもしれない。既存のコンベンションモデルや文化の殻を壊すことはたのしいし、その功績を残しておきたい野心もある。が、それは私のfurryとしての本能を表現するものではない。

私のfurryとしてのコアな部分、それは動物的な美しさや女性性、そして誰かから愛される事に慣れてなくて、人を愛する事を知らない自分の自己否定。どこかで植え付けられた規律に支配された自分の解放。 その全てを持ち合わせた存在への憧れ。それが幻想のケモノとして描かれる。

愛、性別、動物(猫)、そして規律。それらに関するコンプレックスと憧れからの救済が私にとってのケモノの本質だし、furryとしてのアイデンティティなのかもしれない。 誰かから愛されて誰かの愛し方を知りたいし、女になりたいし、猫のような美しい顔と体がいいし、規律を壊す勇気が欲しい。

そしてこのfurryとしてのアイデンティティを、私は生身で実現したがっているのかもしれない。 多分、今は自分のことを昔ほど嫌いではない。だから、ケモノを表現するモチベというか、欲求が生身に持ってかれてfurryっぽいことしなくなってる。

だからfurry的な、ケモノ的な表現手段は新しく獲得したいな、と。イベントと着ぐるみ以外にね。 やはりPhilosofurで文字表現にいくか、メスケモにラーメンを食べさせるイラスト描くか、、、だな。

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新宿SEGエリア、山頭火の流れを継ぐ塩豚骨ラーメン。 すっきりあっさりしつつも、豚骨らしいクリーミーさは健在。これなら血液もサラサラである。 細麺でもボリュームもある。替え玉は必要ない。弱点のないラーメンという印象。優等生な感じね。